2010年10月7日木曜日

【力と形】Pont du Gard ポン・デュ・ガール by Ancient Roman古代ローマ人【デザイン参考資料】

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(photo bysanfamedia.com )


[year]
The century 1st B.C.

[name]
Pont du Gard 
ポン・デュ・ガール

[designer]
Ancient Roman
古代ローマ人


フランス南部・ガール県のガルドン川に架かる水道橋。 ユゼスからニームへ飲料水を運ぶための水路の途中にあり、 紀元前60年ごろにアウグストゥス帝の腹心アグリッパの命令で 架けられたと考えられている。





Memo

ニームへ向けて50キロ、ローマ時代の水の道 ポン・デュ・ガールからユゼスへ [フランス] All About

2000年前、ローマ人がニームに入植し、豊かなローマの生活を持ち込もうとした時まず必要だったのが水。おいしい料理、噴水も涼しげな緑の庭園、そして大好きなお風呂、良い水の無い生活なんて考えられなかったんですね。 そこで目をつけたのがユゼスの近くに湧き出るユールの泉。南仏独特の荒れ地を越え、谷を渡り、その距離なんと50キロ!ニームの地においしい水を送り続けたローマ時代の水の道


南仏プロヴァンスの名所 ポン・デュ・ガール - フランスの小さな町から… - Yahoo!ブログ

しかもこれは、ただの橋ではなく、水道橋。 岸の一方から対岸へと水を送るために、この橋を建造したわけです


ポン・デュ・ガール(フランス世界遺産)とは【ポン・デュ・ガール】- 考古,考古学

白亜紀の石灰岩でつくられ、3層のアーチは上に行くほど小さくなっている。また、水源地と供給地の高低差がわずか17mにもかかわらず、スムーズに流れるように設計されていて、ローマ人の水利技術の高さがうかがえる。


ポン・デュ・ガール - Wikipedia

「この3層からなる素晴らしい建造物の上を歩き回ったが、敬意からほとんど足を踏めないほどであった。自分をまったく卑小なものと思いながらも、何か魂を高揚させてくれるものを感じて、なぜローマ人に生まれなかったのかとつぶやいていたのだった」 18世紀の思想家J.J.ルソー


Pont du Gard - Wikipedia, the free encyclopedia

The novelist Henry James, visiting in 1884, was similarly impressed; he described the Pont du Gard as "unspeakably imposing, and nothing could well be more Roman." He commented:


Pont du Gard - Wikipedia, the free encyclopedia

the Pont du Gard is renowned for its appearance, its design is not optimal as the technique of stacking arches on top of each other is clumsy and expensive. Later aqueducts had a more sophisticated design, making greater use of concrete to reduce their volume and cost of construction.


2/3 ニームへ向けて50キロ、ローマ時代の水の道 ポン・デュ・ガールからユゼスへ [フランス] All About

近づいてみればあらためてそのアーチの巨大さと緻密さに息を飲みます。頭の上に積み上げられた石一つ一つが圧倒的なボリュームでのしかかってきます。くさび状に削り上げられた大きな大きな石がせり合って支持され膨大な重量はすべて岩盤にかかるようになっています。石同士が均一にしっかりと合わさっていなければすぐに崩れてしまいます。1センチでも薄ければ3センチ以上ずり下がってしまいます。




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